11月に、人生の半分以上を過ごした街から引っ越す。
新居からも電車やバスを使えば普通に来れるので、永遠に戻れない場所ではないけど、やっぱり「住む場所がない」と思うと、もう今のような穏やかな感覚でこの街を歩めないかもしれない。
こう文字を打ち、息をつくのと同時に顔をあげれば、ベランダの窓の向こうで、見慣れた街並みが青く色を変えながら先まで続いている。
西日はすでに街を照らす高さではなく、あとはただ闇夜がゆっくりと空を覆うのを待つばかりの時間だ。
やや薄曇りの空は、夏の色を落として柔らかい。この空の色が、見える街がずっと好きだった。
昔、どこかで、何かで「幼い頃に住んだ街の景色は、たとえ外国に行っても「地元に似てる」と思い出すものだ」と見た。正直、僕はそれがすっごく嫌で、早くこの街から出たいとばかり考えていた。景色のことだけではないけど、長く過ごせば過ごすほど、ここに愛着が湧くとわかりきっていたから。
そしてその時の感覚は見事的中して、あと1か月切ったこの場所での生活を想うと、毎日がどことなくアンニュイなものになっている。
春。ランドセルを背負って、家人に言われ立たされた桜の樹。
夏。真っ青な空に映える白い壁。どこまでも伸びる入道雲と、ベランダを開けて練習したリコーダー。
秋。月を見るために寄りかかった塀。思いがけないところで咲いた彼岸花。
冬。遊具に降り積もった雪を眺める。普段は白く見えるのに、雪の中では微かにベージュの色をした我が家。
ふ、と足を止めると、そこに何かしらの思い出がある。
既に無くなってしまったものもあるけれど、それでもなお多くのものがここにある。
段ボールに詰め込む中、捨てていくものもある。
この街の、この場所の、この景色を丸ごと詰めることはできないけど、何かを持っていきたい気がする。今更、去る準備をする中で、この場所にある何かを探して少しだけ心が寂しい。